2007年11月21日

   7 

komorebi 図書館の高い天井まで一杯に届いた分厚いガラス窓越しに、秋の強い風の渦巻く雨の中の木々を眺めていると、沈んだ思いが洗われるように研ぎ澄まされてゆくのを感じるのだった。それは静かな想いの水盤に映る、笑みのようなものに漂い移ろってゆくようだった。私は木々の茂みが風にゆれているのをぼんやりと眺めていた。
― 歩くしかないのだろうか。
 私が歩く。私は私の脳を運んでいる。じっとしていられないのだろうか。人が歩く。人々が歩く街を歩いてゆく。ここではない所へ。とりあえずここではない所へと歩いているつもりなのだ。―
 
 小さな街を出てやがて土の道を行く。
 実った稲の、風に波打つ黄色い水田に煽られて歩く。
 退屈な陽ざしの中の電線に、雀のまばらに休むその眺めの下を歩く。私はぽつんと黒い種のように歩いてゆく。
 林を歩き、山道に入り、木の根を踏む。
 私は修行僧となっていた。黒い僧衣を重たるく肩から垂れた姿は、その足取りをよけいに重苦しくしていた。そこには私の歩く土の道までもがあの漆黒の夢のように、粗末な履物の下に続いている。見回したところ、田舎町のはずれと見えるが、昭和二〇年代にはこのような雑木林が散在する風景は何処にでもあったはずだ。むき出しの土の道と、ぽつりぽつりと見える家の庭に大きな木が年輪を重ね、いたるところに緑があって見渡しが良い。
 私はT字路の角を右に曲がり、そこからゆるい坂道を上がる。坂を登りきる手前の道は左手が鬱蒼として薄暗く、古い長屋の玄関らしき朽ちたあばら家が二軒見える。この坂道は広く、大型のトラックが十分に通れるほどの幅があった。私は左手に並ぶ古い引き戸のみすぼらしい玄関の前に立ち、何やら経をとなえ、ともかくここを清めようと考えている。しかしその古い長屋は近付いてよく見ると、とても人の住んでいる気配など無いのだった。私は何か唱えるか合掌したのかも知れない。奇妙なことにこのあばら家はわざわざ古色をほどこした作り物のようにも感じる。
 そこを離れ、坂を登りきると右手に広い庭を持ついかにも田舎らしい古い家が見えた。そこは坂道にさしかかっているので水平を取って盛り土をし、低く簡単な石垣が造られていた。そこには人が集まっている。何かの会合があるらしく、庭に机を出したり掃除をしたり、人々は忙しそうに立ち働いてる。やがて近付く内に、とある新興宗教の会合だと知る。その向こうを見ると家の広い縁側のガラス障子の奥に何と私の親族がそそくさと拭き掃除をしている姿を見つける。私は怒りが込み上げてくる。その庭にずかずかと入り込むと僧衣を風に翻しながら、いつまでこんなくだらない宗教に関わっているのか、と大声で怒鳴りつける。私は激しく怒り、庭に出ている見知らぬ人々も共に叱りつけてとめどもない。

 私である僧侶は矜持のかたまりである。誰であろうとはばかることなく怒鳴りつけ、仏を説く気性の持ち主らしい。そうして法を持ち行脚を続ける僧であるらしい。
 
 木々の茂みが風にゆれているのをぼんやりと眺めている私は、大きな図書館の窓辺にある机に向かって座っていた。

― まぼろしの 永世を渡る 葦の浮き船 ―

 そんな歌を思い浮かべてみる、けっこうな気分だった。それというのも数日前、この同じ窓の外に私は思いがけないものを見たと信じていたからだった。
 窓の高さ一杯に立つ樹木の繁みを、その時沈む夕日が向こうから照らして、細密なシルエットを際立たせていた。見るとその葉一枚一枚に陽光が反射して黄金色に輝き、惜しげもなく金箔をふり撒いたかのように全体を包んでいるのだった。あれは仏国土にあるという宝樹なのではないか。と、ぼんやり考えていた。
 この日と同じ夕陽を私は何百回と見ていたろう。しかし木々がこのように黄金色に輝く様は見たことはないと思った。ただ今まで気付かなかったというだけなのだろう。それにしてもあのように黄金色に輝く樹は何処かで見ていた記憶がある。しかしいったい何処でなのか思い出せないのだった。

「安心したまえ」私は自分自身に言うのだった。私は何処へも行かないのだから。往く所も見当たらず、行けるわけもない。と私はつぶやくように思ってみる。それならば絶望したまえ、と言うべきか。
 夢を思い、夢についてとやかく考え続ける不自然そのものの生活はそのうち夢にからかわれて、足元を掬われるに違いない。水中深く沈んで忘れ去られた珍品を取りに毎日、毎日、深く潜ってゆく。急いで水面へ戻り、息をついで陽にあたり、風のにおいを吸い込むが早いか再び潜っていく。何があるというわけもなく、毎日毎日我々はそれを繰り返している。その水が澄んでいれば底にあるものはもっと良く見えてくるだろうに。
 
 私は図書館を出て雨の中を歩いた。強風が建物の間を吹きぬけて、木の葉や小枝やナイロン袋や紙片などを黒いアスファルトの上に散乱させ、風向きも始終変る中に雨を防ぐには傘など何の役にも立たない始末だった。しゃにむに傘を盾にした所で、傘を一本台無しにするだけだった。私はついに傘をたたんで強風をやり過ごすと、急ぎ足で家に向かった。広い車道は雨が霧のように舞い上がって、歩道にも車道にも大きな水溜りができていた。これだけ濡れてもその水溜りの中を平気で歩いたりしないというのはどうしたものか。この季節の雨などシャワーを浴びたようなものだ。まだ昼の三時だというのに、外は分厚い雨雲のために薄暗い。
 
 目覚めてから夢がまだ別世界だと感じられる内はまず問題はない。そこでは私が私であることの意識が継続している。周囲が尋常ではない変化をするだけだ。しかし私が私ではないと思われるほどの豹変を夢が作り上げると、目覚めた本人は不安になり、まごついてしまう。しかもそんな予想外の事件のためにむしろ夢のリアルさは数段レベルを上げる。奇妙なのは目覚めてからも夢が別世界であったとは感じられない夢からの目覚めだろう。その、時の流れを人は記憶の深海の中から夢と現実をいったいどう識別するのか。別世界であって、しかも夢であると感じられない夢のありさまには興味が引かれる。いずれにしても夢は意識の水面下に隔絶されてなお生きている。しかし夢の特徴はその世界の光源の曖昧さにあるに違いない。
 夢の中の自分が夢と知っていて行動するということはあり得る。しかしそれがそういった夢であるならば、夢であるかどうかを自ら判定するてだてはやはり失われている。そこでも人は世界を自分でどうこうすることは出来ないのだ。現実と変わりはない。そして夢を夢と知りながら、目覚めるまでその世界で翻弄され続ける。
 そうはいっても目覚めた時に感じるその内容の荒唐無稽さを一体どうして夢の中では全て受け入れられたのか、信じ難い思いにあきれるばかりだ。とりあえず目覚めた時に思い出す夢の特徴は一幅の絵画にも通じている。それは現実から最も特徴的なものを切り取って夢見の象徴のキャンバスに描いてゆくのだ。現実世界に対抗するほどの存在を持つ内的デッサンだ。夢の中のあの視野角の狭さ。天と地の気配の希薄さ。空気感の無視、遠近の深度の浅さは夢を夢と見破ることのできる特徴かも知れない。
 嵐の去った翌日、風が運んできた様々な物はまだ濡れたアスファルトの上に片付けられることなく散乱していた。
 
 秋の高く澄んだ青空の下で野鳥が鳴き、その下で人間が死について考える。まぶしい光の明るい空の下で死を考えることのできるのが人間だ。死と向かい合う事は人間の宿命であり、そして特権なのだろう。その対峙の場所から神秘主義者達のあの奇怪な世界が広がって行く。しかしこの世には死と向かい合うどころか、まるで死と共に、あるいは死がために、死を生きているかのような者が居るものだ。彼らの不活発さ、夜の様な暗さ、闇のごとき表情、深く沈んだ声、これらは全て死の象徴的な表現である。人が真の死を知りながら生きることなど出来ないが、それでも形骸的な特徴は捕えることはできる。彼らは実のところ「夜」を生きているにすぎない。私の意識の奥を棲家とする鬱陶しい異物は相変わらず黒々とした塊のようにあったが、この所はおとなしくしていた。
 
 私は広大な公園の道を歩いていた。ウイークデイの真昼時は人影も見当たらない。この公園も門から一歩外に出ると喧騒に渦巻く副都心の只中だとは信じられないほどに鬱蒼とした一角がある。

 精神科医の無遠慮な研究成果によって命名されたこの鬱病という死の漆黒の扉はある日固く閉ざされてしまう。その扉の向こうでは暗黒の太陽が全世界を照らし、自然も色彩を失う。精神科医のもっともらしく挙げ連ねる原因がどうであれ、彼らはもはや自ら閉ざしたこの扉を細めに開ける力さえ失ってしまうのだ。彼らの病名と分類がどうであれ、彼らは死のまねびをしているとしか思えない。
 死すべき人間として死はとりあえず先に延ばされてある。その間には気の遠くなるほどの雑事が詰め込まれる。それらはどのような緊密な論理をもってしても、いかなる宗教教義をもってしても、もはやほぐすことも繕うこともできずにいるのだ。何故ならこれは「私の問題」だからだと考えるのである。これが精神においての死の病の特徴だ。闇に沈む彼はやがて朝が来て昼があることなどすっかり忘れてしまうほどに鬱々と沈潜する。それは死と親しくなる儀式である。彼は眠り続け、無視し、無視され続ける。雑多な仕事が山ほどあり、誰もが人を呼んでいる。しかし彼は今や人でさえないのだ。彼は穿たれた穴のようなものであり、自ら空気のような存在であることを望むだけだ。

 私は突然思い出した。あの窓から見た『宝樹』を何処で見たのかをついに思い出したのだった。それは昼の宝樹であった。
 秋の薄荷のようにすがしい風がそよいでいた。私は池の入り江に架けられた小さな石橋を渡り、見通しの効かない鬱蒼とした小径に入っていった。
 そこには死と眠りが巣食い、居座っている。人は自ら自分の体の組織を変更できはしない。私も心の奥底では実はその組織、システムを変換しようとは欲していないのだ。第一そんなことが人間に可能なことだろうか。長い夜の闇に棲む彼らにとって、「生」とは死の待ち伏せを忘却する時にしかないのだ。ここでは生とは死を選ぶことのできる現実であって、しかも生は真実の死を知らない。それはまさしく隔絶されて存在し、永遠の無知を要求する。
 しかし死を意識し選択の対象とする生は、元々死が選ばずとも訪れ、望まずとも必然であることを忘れているのだ。彼の生は死を自身の既知の範囲に取り込もうと渇望することによって、実は最も苛烈で強靭な生を生きようとしているのである。それは「全てか無か」を突きつける注意深く隠された強欲である。その欲望はまた、子供のように残酷で、社会性を持たずに育まれ得る。またそれは、死が必然として訪れる前からの、死に自由な生へのあこがれでもある。またそれは死を概念として絶えず抹殺し続けようとする企てでもある。
 彼らがもし死を選ぶなら、まさに彼は死の概念によって押し潰され、殺されたことになる。それは自然によってではなく、死を概念として、自我の覇権の範疇に置こうという苛烈な生によってこそ死す事なのかもしれない。
 
「ふむ、とんでもない話だ。そうはいかんぞ。」私は歩きながらつぶやいていた。
その時こそ彼の、無謀な概念に潰されようとする生は、おそらく最も苛烈な行動によって最後の力をふりしぼるのだろう。しかしいったい彼はそこで本当に生を生きたことがあるのだろうか。そしてなお言い得るならば、人が死を形作ることなく生きたことがあったのだろうか。
 歩いてゆくと道はいっそう細くなり、その曲がり角で一人の男に出会った。痩せた老人だった。血色が良く、ゆったりとしてはいるが軽快に歩いて来る。手には何も持たず、腰に万歩計を付けていた。細い小径ですれ違う。彼には私の引き連れている者が見えただろうか。そんな風に思いながら振り向いて見る。彼はすでに居ない。

 死は待ち伏せし、にじり寄り、死を忘れ去った生の輝きにいきなり襲いかかる。それは年齢も性別も、健康状態さえ関することなく、不意に襲いかかるのだ。彼らはこの狡猾な死を何度も自ら招き、それを生のうちに組み伏しながら生きているつもりなのである。これはしかしあり得る最も激しい戦いだ。私は私の内に肥え太る御しがたい死の概念と戦う。闇の思い、永遠の眠り、極北の概念と激しく戦う。そして相手は決してその名を明かさないのである。
 そいつは自身が闇であり、顔さえ判別できない。それは存在自体が謎に満ち、未知の知識を持っているように見えるが、それを告げようとはしない。だから彼は組み掴んだ手を離さないのだ。彼はそれをしっかり掴んだままずるずると引きずり、現実の地上を歩いて行く。彼は彼の思考の全力を尽くして奴と戦う。奴と彼は分かちがたい関係を持ち続ける親しい友人のように見えるのかもしれない。
 
 私は見覚えのある場所に来ていた。この広い公園を私は一周してしまったようだ。視界が拡がり、小高い丘となった芝生の上を通ると、樹木の鬱蒼とした波の向こうに、灰色にくすんだ高層ビル群が見えるのだった。

 土の道に私の影が黒々と落ちていた。" 影は黒ではない "といったのは印象派の画家だったか。しかしそれはどう見ても「黒」であった。この地表に漆黒の夢のように黒い影を造り出す、他ならぬ私の影だった。
 私は歩き続けながら陽光に輝いた昼の宝樹、夕陽の金色に満たされた夕の宝樹の、音を立てるかと思うほどの煌びやかさを思い出していた。しかし私は未だ「朝の宝樹」を見てはいない。

 ― 今度は違う道を通ってみよう。
 そうつぶやくと私はまた歩き出した。
 
 
 
 
posted by JP.フィールド at 01:18| ウィーン | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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