2007年11月27日

   1 

 私は船に乗っている。yumenomado
 あまりに長い船旅だったためなのだろうか。私はいったいどうしてこの巨大な豪華客船に乗ることになったのか、どうにも思い出せないのだった。それどころかこの数日間の、もしかして数ヶ月かも知れない船内での生活さえまるで覚えていないのだ。なぜ記憶に残されていないのか、どうしても解らないのだ。

 船体は灰色にくすんだ港の淡い景観へゆっくりと近づいている。遠くには巨大なクレーンが角度を広げている。ここがなぜ英国だというのだろう? いったい誰がそんな事を断じて主張するのか判らない。しかし私は今やそう信じ込んでいるのだった。
 
 私は海の匂いもしない広大な波止場に降り立ち、灰色の空を威圧する何本ものクレーンの巨大な直線を眺めていた。そしてぎっしりと立ち並ぶ船荷商会の赤茶けたレンガ造りの建物や倉庫の、煤けた窓や壁を見渡しているのだった。
 私は地図を持たずに歩いていた。こうすることが好きなのだ。いったいこんなつまらないところを何処の閑人が測量し、あきれるほどの正確さで人々を退屈させているのだ? そんな事を思いながら歩いた。やっと英国に来たのだ…。私は本当にそう思っていた。
 まもなく不安が私の足を止めた。私は自分の旅の目的も知らないどころか、まるで旅の間中深い睡りに落ちていた人のように、あるいは母国の街を歩いている内にいきなりこんな所に現れてしまったとでもいうような、不気味な空白が襲い掛かって来たからだ。そうすると金も持っていないに違いない。ポケットをまさぐってみた。ガサついていた紙屑は日本円だった。じゃあパスポートは? そんな事は考えるのも恐ろしい事だった。
 私は覚悟を決めると、あてずっぽうにどんどん歩いていった。英国人の水夫、沖仲仕、市民たち。英国市民は私の立場上何倍も傲慢に見えた。
 ビアホールの前を通り過ぎた。何種類ものビールのジョッキがビールを波々と注がれてなぜか店頭に並べられていた。私はとにかく一息つきたいところだったし、その内の黒ビールの色は私をひどく誘惑した。しかし私は全くの文無し同然なのだ。こんな紙屑をよこしていったいどうするというのだ? ここで食事をして飲んだ後に起こるであろう一悶着をどうとでもなれといった気分で大まかに空想しながら、私は中に入っていった。
 私を危うい所で助けてくれたのはここの軒並びにある、中華料理店の主人である中国人だった。
 
 私は自分の部屋によこたわっていた。見ていた夢の記憶を辿っていたのだ。
 中国人か―。果たして彼らが見知らぬ日本人を助けたりするものかどうか。―その後が何としても思い出せなかった。
 夢の記憶を辿るときの、手で水を掬うような不正確さ。仄暗いトンネルのような路地を手探りで行く内に、突如その全景が手に取るように拡がってゆく瞬間の快さを私はベッドの上で味わっていた。あまりに鮮明な夢の中を生きて来たとき、人は旅人のように疲れ果てて目覚める。
 ばかばかしい。眠っていながら疲れるなんて…―。苦々しく思いながらも、再び記憶の泡立つ海から鮮明に浮かび上がるだろうこの夢から目覚めると、やがて私は過去に見て来た数々の夢の印象に引き戻されるのだった。そして記憶の書物に強く捺し残されたそれら様々な夢の形を次々と手繰り出していった。これらはつまり生きて来た時間に浮かび上がる空白の、奇妙にも確かな存在だと思うのだった。それはリアルな体験としていつまでも置き去りにされている。クリスタルグラスの中の気泡の様にかつて熱された硝子の流動体の中で、浮き上がろうとしながら凍結された記憶だ。そこには別種の時がそのままに在る。目覚めてしまえばもはや誰も触れ得ない異質の時空がいつまでも残されてあったことに人は気付くのだ。
 ―夢にも歴史がある。―と、私は思ってみる。そこでは別の年代や日付がされるべきだ。しかし夢には年齢がない。
 私は部屋を見回す。興味を引くような物など何一つ見当たらない、単なる四角の白い箱だった。…しかし実際は部屋の中は物だらけだった。見慣れた雑多なものは意識の映像から次々と追放されてゆく。それらは私の名指しから逃れようとありとあらゆる擬態をはじめ、ついには何物でもなくなる。まるでここによこたわっている私のように…。
 
 鉄パイプで組み立てられたベッドの上に私は投げ出されていた。机があり、机の上に置かれた小さな本棚には五十冊ほどの書物が並べてある。テレビがあり、小型のステレオセットがあり、折りたたみの椅子があり、部屋の隅には空きカンのあふれた紙袋が二つもある。 昨日は朝まで起きていた。今はもう昼の二時頃だと思う。寝苦しさで一時頃には大抵起きてしまうのだから…。
 部屋の大きな窓には白いカーテンがかかっている。それが外の激しい光によって所々に淡い影を浮き上がらせているのが見える。このカーテンが引かれていないと、毎朝、真白な光と雀の翔たく影が白い漆喰の壁を走る。…いや、あれはたぶん鳩だ。彼らは群れを成してこの近辺を旋回する。静まりかえった早朝にはその羽の軋む軽い音が聞こえてくる。カーテンの引かれている今は鳥の影に驚かされずに眠り続けることが出来る。
 
 私は起き上がろうかどうか迷っている。ベッドというものはありとあらゆる無意味で無価値な思考を培養する生暖かい病巣だ。私は監視されている。人々の詮索の目か? ここではそういう妄想からどうしても逃れられない。
 かつてはドミノ倒しのように連続する動作によって私の仕事は始められ、とどこうりなく続けられた。手早く顔を洗い、不愉快そうな顔をしてトーストを齧りながら急いでドアに鍵を掛け、ひんやりとした人影の無い通りへと体を運ぶ。庭の掃除などをしている近所の婆さんにお早うといった調子で頭を下げるのもいいだろう。寝起きで声ははっきり出ない。…これが詮索の目だというのか? まさか。愛想の良い返事が反って来るだろう。何しろ朝なのだから。
 そしていつもの通りを歩き出す。見知らぬ人々と共に寝不足の灰色の顔を陽に照らしあって早足で横断歩道を渡る。やがて人々の大きな流れに合流する。何も異常は見当たらない。当然だ。行き着く先はお馴染の知った顔、顔。相変わらずの大騒ぎが始まる。街はタイヤの擦りきれる匂いと、何処から来るのか判らない砂埃に濛々とし始めるだろう。何の目的もないような通行人が右往左往し、セールスマンは何処か涼しい喫茶店か百貨店の通路にでも入ろうかと考えながら、汗ばんだネクタイを緩めながら歩いているだろう。
 夢から覚めて再びまどろみの内でこんな風に思い浮かべたドアの外の光景を歩いていく私の様子は、やがて恐ろしく奇怪な夢の記憶を辿っていった。それは「漆黒の夢」だった。その夢を再び見た時からもう二十年は過ぎている。
 その夢の中では、私は黒々とした闇に取り囲まれていた。目をどんなに皿のように開いてみても、煤のように密度の濃い闇に浸され、何も見えなかった。そして丘陵をいつまでも滑走していた。何度も何かを見ようと私は両の目を強く見開くのだが、滑走している人々の気配を感じるだけで、無駄だった。やがて人々の話し声が耳のそばで聞こえてきた。私はいきなり恐怖に襲われ、腕を振り回し、叫ぶのだった。
 私の内には周期的に力を増し、襲い掛かってくる「闇」が棲みついているに違いなかった。それは抗し難く、目の前に突如幕が降りるように始まるのだった。さきほどまで陽に照り輝いていた岩が、何時の間にか潮が満ちてゆき、やがて海中に没するように、いつもそこから私は逃げ遅れるのだった。それはまた極めて緩慢なくせに恐ろしい無頓着さでじわじわと浸食してゆき、私の内に無視できないほどにその存在を拡大し始める。そんな時、私はあの「漆黒の夢」を思い出すのだった。
 
 音が聞こえてくる。水の流れる音が、人の起きている気配もない深夜にも聞こえてくることがある。隣の部屋かあるいは下の部屋の鉛管に響いている。排水孔から伝わって聞こえてくるのだろうか。
 私は起き上がって顔を洗い、机の前の折りたたみ椅子に坐って壁に掛けてある水彩画を眺めた。そして部屋の中空を見つめる。何事もせず居ることは苦痛なのだろうか。…いや、何事も考えられずに居る生活の方が私にとっては苦痛なのかも知れないではないか。
 私はまたとりあえずあの店に行くだろう。それから画廊を廻って退屈な絵画をまじまじと見つめる。夕方まで。もしあまりのつまらなさに怒りがこみあげて来たりしたならば、そうした画廊から程近い所にあるブリジストン美術館に避難すればよい。少しは眼の怒りもおさまるだろう。そうして時間をつぶそうと考える。
歩道に並び立って、黒に近いほどの濃い緑を揺する木々やその細い枝が、ブルーグレイの空に突き出ている。ふと空を仰ぎ見ると、そんな何でも無い風景に何やらただ事ではないような表情を読み取れるなどと感じるのも、やはり病の特徴だ。あの黒い幕がまたもや私の周囲に降り初めている証拠に違いなかった。
 この夏の私の時間は休暇ではなく失業だった。この島国の街で夏の休暇など取ろうとするのはほとんど不可能だ。もしどうしてもと言うのならば、精神状態同様にぼろぼろとなった胃の手術をするために病院へ逃げ込むか、すっぱりと経済的安定と別れを告げた生活を覚悟しなければならない。しかし私は空気の味に難癖をつけるような人間だ。こんなひどい湿気と気温の中でも、失いたくないものをしこたま抱え込んで奔走し、守り通すこと以上に、恐ろしく伸縮自在な命をかけた欲の皮のおかげでこの島国は沈没せず、浮かれてきた。もっとも今や、複雑で繁雑な仕事は次々とアクロバットのようにこなしてしまわなければ埒もあかない。そんな「仕事」が一生の友と決め込むことに誇りを持った人々がたくさん住む街だ。しかしそれもつかの間のことだ。やがては培って来た技術が古びたものとなり、あるいは退くべき老いに達したとき、残されて永々と拡がり続ける白々とした時間に対面する時が来る。人が自分の世界から追放され、見飽きたものばかりに囲まれた世界の只中を、だらだらと続く平坦な道のままに、はたしてなおも人は嬉々として歩き続けることなど出来るのだろうか。
 
 私はドアを開けて外に出る。いつもの通りを歩いて行く。私がそこの角にある煙草屋でマイルドセブンを一箱買えば、とりあえず私もこれらの騒ぎと無関係を主張できなくなるとはいったいどうしたわけだ。たまにコースを変えてみたりはするが、駅まで行く道はさして変わりばえしない。商店が軒並みに犇めいた遊歩道を歩く。
 またあの贋の敷石がある。それを見てしまう。そこには四角い敷石の代わりにコンクリートが流し込まれ、そこにかつて存在したように、敷石の作る碁盤の目の筋を木片か何かで下手糞に刻み込んだ代物だった。その微妙に歪んだ碁盤の目は辛うじて周囲の無事だった敷石の本物の筋目に合わされている。私はこれを見る度に不快になるのだった。何がなんでも回りの規律に整えなければならないと思い込んだ、この贋敷石制作者の脅迫観念めいたものが伝わってくるような気がするからなのだ。
 まったく馬鹿げている。このコンクリートのぶざまな贋敷石もそうだが、こんなものにまで自分の気分が左右されること自体が馬鹿げていた。しかしその「ニセシキイシ」は必ずそこにあって、うつむいて歩く私の視界に入ってくる。うつむいて歩いたりしなければよいのだ。それでも遠くからそれは判別出来る。それが近づいてくる。どうして私はこんな物を見てしまうのだろう。
 
 私は駅に着く。そこには仲間が居る。雑多な目的のために右往左往している人々の中で、ぽつんと動きの無い人々が居る。駅頭のベンチのそこここに坐り込み、所在なさそうに何を見るでもなく人々の流れや街の様子を眺めている。
 群れを成した鳩に向けてポテトチップをまいている子供が居る。行き場を失った老人が杖を抱えて坐っている。暇をもてあました汚らしい服装の男が寝そべっている。毎日が休日の若者が、バックの中のウオークマンを引っ張り出す。
 それらの人々の中にちらほらと何か訳の判らない閑人が居る。もう若くもなく、かといって失業して途方に暮れているという風にも見えない。そのスタイルからして浮浪者でもない。酔っぱらいでもなく、第一、労働者らしいところがまるでない。その人々に紛れ込み、ベンチに坐ってみる。私は難なく同化する。さて、どうするか。今日一日の眩しい光のさなかで、何をどうするか。何もどうもしない。…よろしい、そうしよう。
「気味が悪いな…」
 突然すぐ横で声がした。隣に坐っていた中年の男が急に喋り始めたのだ。着古した紺色のポロシャツを暑苦しそうに着た男が日焼けした顔を斜め上にあげて中空を見ていた。男の周囲で一番近くに坐っているのは私だった。男は私を見るでもない様子で喋っている。
「〈鳥〉という映画があったろう? 鳥が襲い掛かってくる映画で…。まるであれみたいだよ。ほら、気味が悪いなあ。そう思わないか?」
「え?」私は思わず返事をしてしまう。
「あれ、あれ、ホラ。あんなに沢山…。」
 その男の視線を辿って中空を見るとそこにはたくさんの鳩が電線に鈴なりにひしめいていた。鳩はあまりに明るい空のせいで黒っぽく見えてうごめいている。電柱の上には烏まで混じっていた。男はさきほどからこれを見上げていたのである。
「ちょっと多いみたいだな。」
 私はうっすらと笑いながらそう言ってしまう。こんな真昼の、木の葉が透き通るほどに明るい陽の下で、いきなりヒッチコックの古い映画なんぞを持ち出すのが滑稽な気がしたからだった。
「いやぁ、気味が悪いよ。こっちを見てやがるんだ。」
 こんな事を言い始める人とはあまり深く関わりたくない。実際、あれぐらいの数の鳩など、この辺りではどうという事もない。彼らは駅前の小さな広場に群れを成していて、誰かがポテトチップスやビスケットの小袋を、ポケットやスーパーの紙袋から取り出すのを待っている。目ざとくそれを見つけては飛んで来て、人の周りをウロウロする。それでいつも何匹かはベンチの並ぶこの辺りの観察を怠らないのだ。
〈鳩に餌を与えないでください。〉という立て札があるのだが、そんなものは無視して、人々は戯れに、あるいは愛着を感じて、誰かかれかがその日その日の鳩を養っている。その白い立て札によると、なんでも、鳩の糞にはある奇病の原因となる菌が含まれていると主張するもので、説得力のある名文である。ここに来るたびに私はこれを無意識に三度は読んでしまうものだが、その無駄のない文章は冷然とした簡潔さがあるために、単なる言いがかりにすぎないようにも読める。
「すずめが小さいなあ…」と隣の男がまた喋る。私は思わず笑い出してしまう。
「すずめはこんなに小さいもんじゃなかったんだ。もっとコロコロしていて…。ワシの子供の時分はね、もっとこう大きかったもんだよ。なんだかこんなに小さくなっちまって。食いもんが悪いんだろうなあ…。」
 何をばかなと思っても、歩道の碁盤の目が気になる私としてはあまり人のことを言えたものではない。こんな男とこれ以上会話を続けたくなかった。男の向こうには老婆が風呂敷包みを重そうに抱えて人を待っている。この男は長い間、すずめも間近に見ることの出来ない境遇にあったのだろうか。
 たとえばこの男が延々とお喋りを聞かせ、ほとんど半日付きまとわれたあげくに暇にまかせた交友が始まる。やがて思いも付かない事件や、どんでん返しが待っている、というのはどうだろう。でなければこんなぐあいだ。男は最近妻に先立たれ、その死の唐突さに半ば腑抜けのようになっていた所に、ほとんど諦めかけていた一人娘の縁談がばたばたとまとまり、ガランと空洞のようになった家の隅で一人爪を切ったりしているこの初老の男に、狂気の兆候が現れて来るのを見知らぬ私が目撃するというのはどうだろう。
 さあ、私はこの奇妙で文学的な男を放って置いてそろそろ立ち去らねばならない。何故なら私は「何もどうもしない」のだから。私はまた歩きだした。
 
 モーツァルトのピアノ協奏曲二十三番がかすかに聞こえてくる、いつもの喫茶店の前に来ていた。美しいカーブに切った硝子を嵌めた重いチークのドアを開けると、とたんにピアノのフォルテッシモが鳴り響く。店内は天井桟敷を模した欄干に囲まれて、中央フロアがちょうど机の高さ分低くされている。その正面中央にはアメリカ・ビクター社のフロアー型蓄音機「ビクトロラ」が据えられていた。この骨董品は一九二五年当時、業界での革命的傑作だったというしろものだ。その向こうは音響のためにさらに人の背丈ほど掘り下げられているが、近くにいって覗き込まなければそれは判らない。そこがつまりミニチュアの舞台であるらしく、沢山のスピーカーが並べられている。舞台の背にあたる壁は巨大なホーンのように微妙なカーブを描いた漆喰で出来ていて、客席に向けて大きく開かれている。注意深く選ばれて置かれたドレスデンの花瓶の位置。白い漆喰の壁に飾られた小さな中世の版画、チェロのはずされた表坂のオブジェ。フリージアの花のようなイタリー製の小さなシャンデリア。それら全ては簡素な静けさをただよわせ、私をとりあえず落ち着かせるのだった。
 ピアニッシモの静けさの中でコーヒーカップやスプーンの触れ合う音が空虚に響く。客が二人居た。一人は学生で、熱心にコミック誌を読んでいる。もう一人は通りに面した出窓のそばで何かしきりに考えあぐね、原稿用紙に向かっていた。店主はドリップに熱い湯を注ぎ終えて噛み殺した欠伸をする。ここは外国人にも居ごこちが良いらしく、金髪の男が静かにナボコフを読んでいたりするのだった。
 モーツァルトが私に聞こえるようになって来たのはごく最近の事だった。或る時期が来るまで、知っていても「読めない書物」があるように、音楽にもそんなものがあるのだろう。何度となく耳にし、あるいは何度もその書物の背文字を眺め、試しに扉を開いては何行か、何ページかを読んでみる。にもかかわらずまるで聞こえず、読めない…。次のレコードがかかる。またこれだ。フランクのバイオリンソナタ。最近ここに来るたびにかけられる一枚だ。もう飽きてしまった。
 私はいつものソファに座り、目を閉じる。銀座まで出かけるのは億劫だ。ここを出たなら私は中央図書館に行くだろう。そして神秘主義者たちの愚にもつかぬ書物に鼻を突っ込んで夕方まで過ごすだろう。
 
 
 
posted by JP.フィールド at 22:20| ウィーン ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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