2007年11月22日

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lunasea10q.jpg 私はソファーに坐ってぼんやりするたびに彼の夢について考えていた。そんな調子で数日が過ぎた。一つ言えることは彼が助けを求める相手を誤っているという事だった。私は精神科医でも救世主でもない。…ばかげている。
 しかし彼は明らかに救済を求めていた。それも同時に殺そうとしながら。何と言う隠喩に満ちた夢だろう。これに比べると私のあの夢などまるで単純にさえ思われる。
「君らしいね。ただ笑いながら黙って立っていたなんて」と、友人はこの話を聞くと愉快そうに言った。何時かの画廊のパーティーに行ったはずの彼はその後しばらく姿を見せなかったが、今日は気まぐれに私の様子を訪ねに来ていた。ちびちびと飲んでいたウイスキーもだいぶまわってきたところだった。
「復活だね! 血も流さず、死にもしないのだろう?」
「そうだ。そう言われると復活者キリストかもしれないが。まあ親しい友人の姿をとって現れたキリストと言うわけなのかね…」
「ふむ、とにかく君がキリストならその友人の"助けてくれ "という叫びを聞いて、すみやかにあわれな憎悪と幻視とやらを取り上げてやったろうね。」
「ところがね、そのすぐ後に彼は強制入院させられてしまったんだよ。」
「ふん、友達がいのない奴だ」
と、友人は笑いながらも、確たる理由もなく不満げに言った。
「確かに僕は彼に対して見え透いた態度を取っていただろうね。いかにも理解者の振りをして、真っ向から対立する場所に居るものとして取り得る態度、とでもいうところかな。これは君も尤もとは思うだろう。相手は心が壊れてしまった者なのだから。だから奴にしても助けを求めながらアイスピックの一突きで返答するという行為の激しい矛盾が意味を成して来る。」
 友人は大きなグラスを玩びながらしばらく無言だったがやがて重たるく口を開いた。
「いやいやまてよ。しかしどうもそいつの夢は作り話にせよ一筋縄では行かんな。何やら宗教的なところがある。前に君が言っていたじゃないか。我々の内にいつまでも残っている矛盾、つまり傷痕のようなものについてだが…。我々が人間であることの自覚と基盤の指し示す方向は結局キリストを殺害せざるを得なかったという例の…」
 確かにこの夢の現わすものは行為の矛盾と絶望そのものかもしれない。彼は救いを、まさにそれ以上不可能な激しい表現で要求していることを思い合わせると、あながち大袈裟ではない。死をかけているからだ。そのような存在を夢が知らせたという訳だ。が、なかなかの解釈だ。
「キリスト殺害事件についてはあんなことを言ったがね。それを持ち出すならば実はユダヤ教の燔祭という儀式やイザヤ書の預言などが絡んで来るんだが、…まあこれは置くとして、第一我々にはその感覚が理解できない。我々異教徒の胸を響かせるのはあの、『復活』という思想だけで充分だろう。」
 キリストの存在とその物語は人間のための試金石を置かれたような、あるいは人それぞれ内奥に隠された抜き差しならないようなものに雪崩をおこして、白日の下にさらけ出してしまうような、そんな行為を激しく誘発させるということはある。
「だいたい最近君が興味を引かれているような悪魔学などというものはキリストの引いた基準線があってのことで、子供じみてばかげた泥んこ遊びの類でしかない。真っ白な布の汚れは目立つからね。光があっての闇のさらなる深淵が際立つし、地下への沈潜と考えるその方向も定まるんだからな。」
「で、その夢を見た彼はその後どうなんだい」
「少し良くなったかと期待したけれど、楽観できない病である事も確かで…。」
「夢の中の君は彼に何回突き刺されても一滴の血も流さず、決して死なずにいたんだろう?」
「そうだ。死なず、血も流さない人がにこにこと笑いながらそこに立っている。彼は決して殺せない。つまり死を持ち合わせていないわけだ。」
「これは復活だね。」
「そう。復活者、キリスト本人だ。」
 
 部屋にある小さなスピーカーからはマーラーの五番が小さく音量を絞って流れていた。アダージョに入ったので私はソファーから立ち上がると音量を少し上げた。
 では私の夢はいったいどういう事になるのだろうか。
「そうだね。君の夢については結局彼の夢を君に知らせるという働きしかしていないんじゃないかな。君がそんな恐ろしい夢見をしなければたぶん彼にそんな事を話したりしなかったろうから。」
「おい、驚かすなよ。何時から君は神秘学徒になったんだい。それにしてもどうなっているんだこれは?」
「まあ、少なくとも芸術にかかわる者はよほどへそ曲がりでない限り神秘学には関心があるものさ。ところで君の夢の中では彼は君に徹底的にやっつけられたんだったね。」
「そうだ。生きているかどうかも定かではなかったね。」
「なら、最も常識的な解釈をあえて言うと、奴は君にとって君自身の内に隠れ棲む憎悪の化身と言うほかない。つまり君の分身である悪鬼として彼は君の前に現れたんだ。君はその"悪魔 "を虫の息になるほどに痛めつけたわけだ。良かったじゃないか。おめでとうを言うよ。」
「それで、奴の夢に現れた私は今度は救済者なのかい?」
「その通り、と言いたいところだが、それを思い合わせると話がややこしいな。…旧約聖書には確か闇の中で何者かと闘うヤコブの話があったね。今急にそれを思い出したよ。」
「ああ。それは創世記にある天使と闘うヤコブの話だ。あれも妙な話だ。闘った相手は実は何処の誰とも書いていないんだ。第一、ヤコブが自分の名を言ったのにそいつは名を明かそうとしない。ただヤコブに勝てないと判断すると、それでもヤコブの股の関節を一発ではずしてしまうような力を持った者として描かれている。その上、これこそ妙なのだが、夜が明けるから私を逃がしてくれなどとヤコブに懇願する。どうもうさんくさい存在なんだ。一般的解釈では天使ということになってはいるが、どうも信用できない。あの状況描写が意味深長だね。夜明け、つまり光を恐れる者のようにヤコブに組み伏された腕を解いてくれと懇願している。
 そんな状況では自分の正体が曝かれない内に開放されるためにはどんな嘘でもつく奴じゃないかと私は思うわけだ。そいつは結局ヤコブにお追従のようなことを言ってやっと放してもらうと、さっさと何処かに消えてしまう。これはとても怪しいね。
 そいつはヤコブを祝福する。神と闘って勝った者だとか何だとかというのがその理由だ。そんな奇怪な事をやすやすと言ってのけるところが旧約の古文書たるところだがね。」
「君はどうもその訳のわからない何者かを、闇に棲む者、つまり悪魔の類だと言いたいみたいだね。ヤコブという者はまず最初にそんな奴に祝福を受けたと…。」
「いやいや、もうよそう。この記述の解釈に関してそんなことを言う勇気は今の私には無いよ。こいつは妙な話だという訳だ。解釈学だな。」
 
「ふふん、まあとにかく君の見た夢は彼の見た夢と表裏一体であるには違いない。互いに互いを夢見て闘い、しかも補い合っている。互いに隠し持った切り札の一枚ずつが無ければ完成しない一幅のジグソーパズルのようなものだ。こうしてよく調べて行くと見事につじつまが合っているよ。」
「そうだ。夢の私はかすり傷一つ受けずに闘った。その私が奴の夢に現れた時は不死身の人間というわけだ。」
「妙な体験だな。」
「まったく。妙な体験だ。」
 こんな話に付き合っている彼も相当な暇人には違いない。しかしその解釈は私の鬱陶しい黙考をいくらかでも晴らしてくれたのはありがたかった。
 マーラーが終わろうとしていた。このスピーカーのコーン紙にはイタリー製のファブリアーノ紙という水彩用紙を使用している。ファブリアーノ紙はコットンで作られていて、分厚く堅牢で、紙が擦れ合うとサンドペーパーのような音を立て、指ではじくと乾いた好ましい音を発する。この紙は透明水彩絵の具によると、カラリと晴れ渡った空の下の透明感ある色彩といったものを実に良く発色させた。つまりは日本の風土には合わない発色をする水彩紙と言える。
 水彩画の色彩計画は使用する紙によって決定されてしまう。私はこの硬い紙の発色する色彩の、乾燥した陽気さが気に入っていた。この紙を水彩紙に使い出した頃から、これをスピーカーのコーン紙に使用したらもしかしてあの透明水彩の明るい色が音になるかもしれないなどと、面白半分に考えていた。ある日古いスピーカーを一組台無しにする覚悟を決めて実際に張り替えてみた。エッジには補強のために樹脂を塗った薄いデッサン用の紙を使用し、アコーディオン型に張り合わせた。
 それが出来あがって鳴らせてみると、何と、想像していた通りの音が出てきたのだった。気に入ると、このソニーの古いスピーカーをまた使い続けることになってしまった。紡ぎ出すような繊細さを持ち、管楽器の再生はまさにファブリアーノの色彩だった。
「例の画廊のパーティーはどうだった? 」
 私はさほど興味もないままに尋ねた。
「面白かったよ。いやもう皆相当酔っ払っていてね、あの美術評論家は一人でまくし立てていたよ。コンセプチュアルアートの連中と団体展をひどくけなしていたな。もっとも絵画の事などあまり話題にはならなかったけれど。まあ、そうこうしている内に近くに稽古場があるらしくて、演劇の役者連中が会場になだれ込んで来るし、口論から一騒動始まってしまってね。」
「そんなところだろうとは思った。場所が場所だからな。」
「ところでマチス展を見たかい。おれはもう二回見てきたよ。三十年ぶりの大展覧会ということらしい。…それはそうと、確か君の部屋にはピアノがあったはずじゃなかったかね。どうしたんだい、まさか売っちまったんじゃないだろうね。」
「今ごろ気付いたのか。もちろん売ったね。優雅な隠棲をする身分でもないからな。そういえばあの黒の自転車も面倒くさいから捨てちまった。要るなら帰りに持っていけばいい。まだそこにあったらの話だけどね。キーナンバーは3156だ。」
「…大丈夫かい? と言った所でどうにもしようがないが。俺もこんな事をやっていられるのはあと二、三年というところかな。しかしまあお互い行けるところまで行って見ようじゃないか。自転車はありがたいな。もらうよ。」
 私は捨てた場所の地図を描いて彼に渡した。捨ててから一ヶ月も経った昨日、たまたまそこを通りかかった時、まだそれは道路沿いで砂埃にまみれながらも無事だった。今も街灯に照らされて新しい持ち主が現れるのを待ちながら鈍く光っている事だろう。
「マチス展は私も見てきた。君はどう感じたんだ。私はなんだか今まで見てきた夢から覚めてしまったような具合でね。訳のわからない感情があって、むしろ腹立たしい気分になってしまったよ。」
「ああ、マチスの持つふてぶてしさね。あれもいわく言い難いものだな。いかにも誰にでも描けそうな筆使いがクセモノなんだ。美術史的技法のあらゆる物を捨て去っているといった風情なんだけど、じゃあ我々があんなものを描けるかと言うと描けやしないんだね。似たようなものは描けるさ。しかしそう思うが早いかそんなものはマチスの成功したタブローと比べて格段の差があるということに残酷にも気付くだけの事だ。むろんおびただしい数の作品の中には単に巨匠のサインめいた作品もある。しかし誰もそんなものを非難したりしない。あの成功したタブローについては、実はもう我々の手の届かない彼方に存在している、と言ったほうが良いほどのものだからね…。」
 いったいあのような、技法と呼べるほどの何も見当たらない画面がどうしてあれほどの見事な芸術の秩序を勝ち得るのか。謎だった。
 
 画家は描かれた画面内のどんな隅の絵の具の擦れ、しみのような点でさえ、その絵にサインを記す時、その画面に全責任を負う。しかしマチスような表現ではもはや色面の大きさとその位置の厳密さこそがその全てになってしまう。無限にある色彩の一つを、絵の具をとく彼が選び取る時、その色彩のコンポジションが画家の頭の中ですでに完成しているはずだ。そうした幸福な状態にある画家はすでに自分の額の奥に輝いて見える画面を全力を尽くしてキャンバスに写し取るだろう。そこでは技法などという小細工や、立体や空間や絵の具の化学組成だのと言っていられない。その日のためにこそ、手指は訓練され、未だ現実世界で物質化していない彼の色彩と造形をすみやかに筆先へと送り出す。そんな「時」は私に何時来るのだろうか。しかしやがて来たとしても現実の物質である絵の具に翻訳されれば私はおそらく落胆するだろう。無残にもそれはひからびてしまうのだろう。マチスという方法は、絵画から技法と名付け得るもののことごとくをそのキャンバスから駆逐していった。まさに「それだけ」を描こうとしたのだろうか。画家として、幸福な色彩の勝利を、あるべき必然の秩序をもって立ち現れるべきタブローこそが祝福されてこの世に生まれ出る。
「じゃあ光琳はどうだ。あれもふてぶてしさではマチスに通ずる処があるんじゃないか。有名な燕子花図屏風などの塗りは技法など超えてしまった処で描かれているんじゃないかね。」
「マチスの例のくねくねとした素描画に彼自身が色彩名を詳細に書きこんだものを見たけど、あれはつまりその絵がすでに見えていたんだろうね。」
「間違いない。彼はぼんやりしている時に突然現れてきた自分の絵を見たんだ。その時はたぶん画室には居なくて、急いでメモをとったんだろうな。」
 私はマチス展の会場に近付いていく道のりを思い出した。
 遮られる事によって、あるいは単に距離によって隔てられ、ひどい場合はそんなものが元々何処にも存在しないものにおいてさえ、「隔絶される」ことによって一人の人間の審美的想像力を激しく喚起させることがよくあるものだ。私にとってマチスの画業はまさにそのたぐいのものであったことは、展覧会の会場に足を踏み入れたとたんに明らかになった。
 まさに百年の恋もさめる思いだった。私は今までマチスのキャンバスの向こうにある、私の頭の中のマチスを見ていたのかもしれなかった。これこそ「コピー」の功罪である。油彩画の写真複製画によってずっと見て来たものは美術印刷技術の芸術的稚拙さが作り上げた、見る者が十分な想像力を働かせなければならないしろものでしかなかったのである。信用できるものはもはや線でしかない。それさえ実際のタブローのサイズと筆の勢いの痕跡、その遊びの面白さに比べればほとんど別物なのである。
 色彩にいたっては巷の本屋に並んでいるような日本製の画集などは言語道断で、元にあった微妙な色彩の調和など、そこですっぱり諦めねばならない。どんな展覧会があったところで、その出口近くに売られているあの惨めな写真製版の画集や、いくらかましなポスターの複製画に諦めの溜息をすると、私はそれらに触れたくもなくなってしまうのだった。その扁平で嘘ばかりの色彩で仕上がったおみやげ品を見てしまうと、再び順路を逆にたどり、その色彩のあきれるほどの違いを不審に思って確かめに戻るのが常だった。
 マチスはその色彩こそが芸術の方法である。ということは悪質の複製画でしかマチスを見ていない者は、要するにまるでマチスなど知らないのと同じことなのだ。マチスの色彩のこの特殊な問題は美術出版界のその筋では常識になっているほどのものだ。作品は商業主義的な乱用から固く守られているばかりではなく、画集の出版にあっては校正刷りのやりとりだけでゆうに二、三年はかかってしまうという。そういった本格的な画集ではコンツェット・フーバー社がすばらしいものを出していた。それは何もマチスのキャンバスから剥ぎ取ってきたような色彩で刷り上げろということではない。画面の色彩の全体的な関係の微妙さをこそ「マチス」にしようとするべきだという「印刷芸術」なのだ。
 展覧会場で私の目前にマチスが壁となって立ちふさがる。それは私の空想の産物であるマチスをことごとく打ち壊し、ねじふせていった。展覧会の壁に、ほかならぬマチスの筆が下ろされたキャンバスに、次々と埋葬されていったのである。そこにあるのは単なる油絵の具だった。何の変哲もなく絵の具が布に摺込まれていた。そして、もはやそれらは我々に別れを告げるように退色し始めている。薄塗りは光に対して耐性に乏しいのだ。これらの作品は厚いカーテンの引かれた書斎や、居間の光の当たらない片隅や、階段の薄暗い踊り場に架けられるべきものだ。私はあの巌のような体躯で耐えたマチスの絶望をいうものを想像してみる。晩年のマチスはあらゆる油彩画の技法をキャンバスから追放することに飽き足らず、ついにそんな多大な犠牲によっても芸術作品が成り立つことを証明しようとしていた。あのあわれな切り紙細工で。もしかして画家にとってはマチスというのは猛毒なのかもしれない。
 長い、快い夢から覚まされてしまったことを惜しんで腹立たしく目覚めるといったような、あるいは狐につままれて気が付くと大事そうに小石を握っていた、といった民話に出てくる愚か者になったような、言いがたい気分で私は展覧会場から出てきた。マチスの実物を見るのは何も初めてではなかった。その時はこんな嫌な気分に陥ることがあるはずもなかった。ところがこうしてマチスの画業を大々的な展覧会によって一望の下に見終えると、マチスが言ったあの有名な言葉 "芸術における安楽椅子 "などという表現がとんでもない見当違いだと感じるのだった。私にとってそれは "マチスの座れない安楽椅子 "とでもいうようなものだった。
 美術館を出て広大な公園に入り、歩いてゆくと科学技術館の建物が見えてきた。そこではちょうどヨーロッパの一流楽器会社の見本市が開催されていた。入ってみると子供たちの美しい歌声が聞こえてきた。ウイーンの子供たちのコーラスが請われるままに始まっている。ダークスーツをぴったりと着込んだ北欧の、頬髯をはやした男がしきりにあちこちを指でおどしながら、二十人ほどの子供たちに囲まれて指揮をしていた。子供たちの白い頬は明るく上気していた。
 展示品を見て回ると、そこにはマチスが終生の友としたという目の醒めるような仕上がりのバイオリンやチェロが並び、贅を尽くし、美しい木目を生かした小型のピアノ、オブジェのように金色に輝く管楽器が所狭しと展示されていた。それら楽器のたたずまいは人を幸福な気分にさせるのだった。マチスのことはもう考えたくもなかった。
 隔絶がそれを捉えようとする者の想像力をいかに喚起し、全霊をもって輝き始めるか。ただほのめかし、いかなる描写もそれを明瞭にするためには使わないという魔術的な方法。それを文学によって現出させ得たのはあのフランスの英語教師マラルメだった。そして音楽の解釈、奏法にはあのグールドの奇怪なバッハがある。レコーディング技術を駆使してバッハを編集し、我々に差し出したピアニスト、グールドも理想の楽音がそこにこそ存在していたことにある日気付いたのだ。それはこんな風に記述されている。
 ―ある日彼が部屋でピアノに没入している最中、前日に口喧嘩をした掃除婦が入ってきた。そして嫌がらせにわざわざピアノの周りを掃除し始めた。電気掃除機の爆音が、グールドの弾いている音をほとんど聞こえなくしてしまった。その一瞬のうちに彼は天上の音楽と思われるほどの理想の響きを聞いたのだ。― 彼の頭蓋の中にあった純粋の楽音は電気掃除機という怪物の隠蔽によって一瞬にでも実際に聞こえたのに違いない。
 
「…いつも不思議に思うんだが、一流の画家の作品に囲まれたときに限って人間が美しく見えてくるのを感じないか。人の顔や姿など見に来たわけではないのに、あの展覧会場の人々の趣には興味深いものがある。周囲に飾られている芸術作品はみんな死滅したもので、ミイラみたいなものさ。しかし貴重な作品のそばに椅子に座ってじっとしている警備のアルバイトらしい女の子の美しさにはそれらも太刀打ちできないことがある。活けられた花でさえそのようなことが起きる。これはただ、生きているからという理由だけなのかどうか…。優れた作品には目を開かせるものがあるのかね。いつもは何ほどもなく過ごしてしまうようなものに気付かせるわけだ。ところがその点に関しては二流の作品の小うるささ、大げさにはうんざりするね。そのせいで大抵は人間自身よりその小うるさい絵のほうが美しかったりするんだが」
 もう夜の二時を過ぎていた。私は酒を片付けて湯をわかし、コーヒーを作った。
「まあ、このコーヒーまでとやかく言う趣味は持ち合わせていないから飲みたまえ。飽きると別のものを買って飲むだけでね」
 彼は笑いながらカップを持つと一口飲み、うなずくと画廊のパーティーに来た妙な女たちの話を始めるのだった。
 
 
 
 
posted by JP.フィールド at 01:15| ウィーン | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月21日

   7 

komorebi 図書館の高い天井まで一杯に届いた分厚いガラス窓越しに、秋の強い風の渦巻く雨の中の木々を眺めていると、沈んだ思いが洗われるように研ぎ澄まされてゆくのを感じるのだった。それは静かな想いの水盤に映る、笑みのようなものに漂い移ろってゆくようだった。私は木々の茂みが風にゆれているのをぼんやりと眺めていた。
― 歩くしかないのだろうか。
 私が歩く。私は私の脳を運んでいる。じっとしていられないのだろうか。人が歩く。人々が歩く街を歩いてゆく。ここではない所へ。とりあえずここではない所へと歩いているつもりなのだ。―
 
 小さな街を出てやがて土の道を行く。
 実った稲の、風に波打つ黄色い水田に煽られて歩く。
 退屈な陽ざしの中の電線に、雀のまばらに休むその眺めの下を歩く。私はぽつんと黒い種のように歩いてゆく。
 林を歩き、山道に入り、木の根を踏む。
 私は修行僧となっていた。黒い僧衣を重たるく肩から垂れた姿は、その足取りをよけいに重苦しくしていた。そこには私の歩く土の道までもがあの漆黒の夢のように、粗末な履物の下に続いている。見回したところ、田舎町のはずれと見えるが、昭和二〇年代にはこのような雑木林が散在する風景は何処にでもあったはずだ。むき出しの土の道と、ぽつりぽつりと見える家の庭に大きな木が年輪を重ね、いたるところに緑があって見渡しが良い。
 私はT字路の角を右に曲がり、そこからゆるい坂道を上がる。坂を登りきる手前の道は左手が鬱蒼として薄暗く、古い長屋の玄関らしき朽ちたあばら家が二軒見える。この坂道は広く、大型のトラックが十分に通れるほどの幅があった。私は左手に並ぶ古い引き戸のみすぼらしい玄関の前に立ち、何やら経をとなえ、ともかくここを清めようと考えている。しかしその古い長屋は近付いてよく見ると、とても人の住んでいる気配など無いのだった。私は何か唱えるか合掌したのかも知れない。奇妙なことにこのあばら家はわざわざ古色をほどこした作り物のようにも感じる。
 そこを離れ、坂を登りきると右手に広い庭を持ついかにも田舎らしい古い家が見えた。そこは坂道にさしかかっているので水平を取って盛り土をし、低く簡単な石垣が造られていた。そこには人が集まっている。何かの会合があるらしく、庭に机を出したり掃除をしたり、人々は忙しそうに立ち働いてる。やがて近付く内に、とある新興宗教の会合だと知る。その向こうを見ると家の広い縁側のガラス障子の奥に何と私の親族がそそくさと拭き掃除をしている姿を見つける。私は怒りが込み上げてくる。その庭にずかずかと入り込むと僧衣を風に翻しながら、いつまでこんなくだらない宗教に関わっているのか、と大声で怒鳴りつける。私は激しく怒り、庭に出ている見知らぬ人々も共に叱りつけてとめどもない。

 私である僧侶は矜持のかたまりである。誰であろうとはばかることなく怒鳴りつけ、仏を説く気性の持ち主らしい。そうして法を持ち行脚を続ける僧であるらしい。
 
 木々の茂みが風にゆれているのをぼんやりと眺めている私は、大きな図書館の窓辺にある机に向かって座っていた。

― まぼろしの 永世を渡る 葦の浮き船 ―

 そんな歌を思い浮かべてみる、けっこうな気分だった。それというのも数日前、この同じ窓の外に私は思いがけないものを見たと信じていたからだった。
 窓の高さ一杯に立つ樹木の繁みを、その時沈む夕日が向こうから照らして、細密なシルエットを際立たせていた。見るとその葉一枚一枚に陽光が反射して黄金色に輝き、惜しげもなく金箔をふり撒いたかのように全体を包んでいるのだった。あれは仏国土にあるという宝樹なのではないか。と、ぼんやり考えていた。
 この日と同じ夕陽を私は何百回と見ていたろう。しかし木々がこのように黄金色に輝く様は見たことはないと思った。ただ今まで気付かなかったというだけなのだろう。それにしてもあのように黄金色に輝く樹は何処かで見ていた記憶がある。しかしいったい何処でなのか思い出せないのだった。

「安心したまえ」私は自分自身に言うのだった。私は何処へも行かないのだから。往く所も見当たらず、行けるわけもない。と私はつぶやくように思ってみる。それならば絶望したまえ、と言うべきか。
 夢を思い、夢についてとやかく考え続ける不自然そのものの生活はそのうち夢にからかわれて、足元を掬われるに違いない。水中深く沈んで忘れ去られた珍品を取りに毎日、毎日、深く潜ってゆく。急いで水面へ戻り、息をついで陽にあたり、風のにおいを吸い込むが早いか再び潜っていく。何があるというわけもなく、毎日毎日我々はそれを繰り返している。その水が澄んでいれば底にあるものはもっと良く見えてくるだろうに。
 
 私は図書館を出て雨の中を歩いた。強風が建物の間を吹きぬけて、木の葉や小枝やナイロン袋や紙片などを黒いアスファルトの上に散乱させ、風向きも始終変る中に雨を防ぐには傘など何の役にも立たない始末だった。しゃにむに傘を盾にした所で、傘を一本台無しにするだけだった。私はついに傘をたたんで強風をやり過ごすと、急ぎ足で家に向かった。広い車道は雨が霧のように舞い上がって、歩道にも車道にも大きな水溜りができていた。これだけ濡れてもその水溜りの中を平気で歩いたりしないというのはどうしたものか。この季節の雨などシャワーを浴びたようなものだ。まだ昼の三時だというのに、外は分厚い雨雲のために薄暗い。
 
 目覚めてから夢がまだ別世界だと感じられる内はまず問題はない。そこでは私が私であることの意識が継続している。周囲が尋常ではない変化をするだけだ。しかし私が私ではないと思われるほどの豹変を夢が作り上げると、目覚めた本人は不安になり、まごついてしまう。しかもそんな予想外の事件のためにむしろ夢のリアルさは数段レベルを上げる。奇妙なのは目覚めてからも夢が別世界であったとは感じられない夢からの目覚めだろう。その、時の流れを人は記憶の深海の中から夢と現実をいったいどう識別するのか。別世界であって、しかも夢であると感じられない夢のありさまには興味が引かれる。いずれにしても夢は意識の水面下に隔絶されてなお生きている。しかし夢の特徴はその世界の光源の曖昧さにあるに違いない。
 夢の中の自分が夢と知っていて行動するということはあり得る。しかしそれがそういった夢であるならば、夢であるかどうかを自ら判定するてだてはやはり失われている。そこでも人は世界を自分でどうこうすることは出来ないのだ。現実と変わりはない。そして夢を夢と知りながら、目覚めるまでその世界で翻弄され続ける。
 そうはいっても目覚めた時に感じるその内容の荒唐無稽さを一体どうして夢の中では全て受け入れられたのか、信じ難い思いにあきれるばかりだ。とりあえず目覚めた時に思い出す夢の特徴は一幅の絵画にも通じている。それは現実から最も特徴的なものを切り取って夢見の象徴のキャンバスに描いてゆくのだ。現実世界に対抗するほどの存在を持つ内的デッサンだ。夢の中のあの視野角の狭さ。天と地の気配の希薄さ。空気感の無視、遠近の深度の浅さは夢を夢と見破ることのできる特徴かも知れない。
 嵐の去った翌日、風が運んできた様々な物はまだ濡れたアスファルトの上に片付けられることなく散乱していた。
 
 秋の高く澄んだ青空の下で野鳥が鳴き、その下で人間が死について考える。まぶしい光の明るい空の下で死を考えることのできるのが人間だ。死と向かい合う事は人間の宿命であり、そして特権なのだろう。その対峙の場所から神秘主義者達のあの奇怪な世界が広がって行く。しかしこの世には死と向かい合うどころか、まるで死と共に、あるいは死がために、死を生きているかのような者が居るものだ。彼らの不活発さ、夜の様な暗さ、闇のごとき表情、深く沈んだ声、これらは全て死の象徴的な表現である。人が真の死を知りながら生きることなど出来ないが、それでも形骸的な特徴は捕えることはできる。彼らは実のところ「夜」を生きているにすぎない。私の意識の奥を棲家とする鬱陶しい異物は相変わらず黒々とした塊のようにあったが、この所はおとなしくしていた。
 
 私は広大な公園の道を歩いていた。ウイークデイの真昼時は人影も見当たらない。この公園も門から一歩外に出ると喧騒に渦巻く副都心の只中だとは信じられないほどに鬱蒼とした一角がある。

 精神科医の無遠慮な研究成果によって命名されたこの鬱病という死の漆黒の扉はある日固く閉ざされてしまう。その扉の向こうでは暗黒の太陽が全世界を照らし、自然も色彩を失う。精神科医のもっともらしく挙げ連ねる原因がどうであれ、彼らはもはや自ら閉ざしたこの扉を細めに開ける力さえ失ってしまうのだ。彼らの病名と分類がどうであれ、彼らは死のまねびをしているとしか思えない。
 死すべき人間として死はとりあえず先に延ばされてある。その間には気の遠くなるほどの雑事が詰め込まれる。それらはどのような緊密な論理をもってしても、いかなる宗教教義をもってしても、もはやほぐすことも繕うこともできずにいるのだ。何故ならこれは「私の問題」だからだと考えるのである。これが精神においての死の病の特徴だ。闇に沈む彼はやがて朝が来て昼があることなどすっかり忘れてしまうほどに鬱々と沈潜する。それは死と親しくなる儀式である。彼は眠り続け、無視し、無視され続ける。雑多な仕事が山ほどあり、誰もが人を呼んでいる。しかし彼は今や人でさえないのだ。彼は穿たれた穴のようなものであり、自ら空気のような存在であることを望むだけだ。

 私は突然思い出した。あの窓から見た『宝樹』を何処で見たのかをついに思い出したのだった。それは昼の宝樹であった。
 秋の薄荷のようにすがしい風がそよいでいた。私は池の入り江に架けられた小さな石橋を渡り、見通しの効かない鬱蒼とした小径に入っていった。
 そこには死と眠りが巣食い、居座っている。人は自ら自分の体の組織を変更できはしない。私も心の奥底では実はその組織、システムを変換しようとは欲していないのだ。第一そんなことが人間に可能なことだろうか。長い夜の闇に棲む彼らにとって、「生」とは死の待ち伏せを忘却する時にしかないのだ。ここでは生とは死を選ぶことのできる現実であって、しかも生は真実の死を知らない。それはまさしく隔絶されて存在し、永遠の無知を要求する。
 しかし死を意識し選択の対象とする生は、元々死が選ばずとも訪れ、望まずとも必然であることを忘れているのだ。彼の生は死を自身の既知の範囲に取り込もうと渇望することによって、実は最も苛烈で強靭な生を生きようとしているのである。それは「全てか無か」を突きつける注意深く隠された強欲である。その欲望はまた、子供のように残酷で、社会性を持たずに育まれ得る。またそれは、死が必然として訪れる前からの、死に自由な生へのあこがれでもある。またそれは死を概念として絶えず抹殺し続けようとする企てでもある。
 彼らがもし死を選ぶなら、まさに彼は死の概念によって押し潰され、殺されたことになる。それは自然によってではなく、死を概念として、自我の覇権の範疇に置こうという苛烈な生によってこそ死す事なのかもしれない。
 
「ふむ、とんでもない話だ。そうはいかんぞ。」私は歩きながらつぶやいていた。
その時こそ彼の、無謀な概念に潰されようとする生は、おそらく最も苛烈な行動によって最後の力をふりしぼるのだろう。しかしいったい彼はそこで本当に生を生きたことがあるのだろうか。そしてなお言い得るならば、人が死を形作ることなく生きたことがあったのだろうか。
 歩いてゆくと道はいっそう細くなり、その曲がり角で一人の男に出会った。痩せた老人だった。血色が良く、ゆったりとしてはいるが軽快に歩いて来る。手には何も持たず、腰に万歩計を付けていた。細い小径ですれ違う。彼には私の引き連れている者が見えただろうか。そんな風に思いながら振り向いて見る。彼はすでに居ない。

 死は待ち伏せし、にじり寄り、死を忘れ去った生の輝きにいきなり襲いかかる。それは年齢も性別も、健康状態さえ関することなく、不意に襲いかかるのだ。彼らはこの狡猾な死を何度も自ら招き、それを生のうちに組み伏しながら生きているつもりなのである。これはしかしあり得る最も激しい戦いだ。私は私の内に肥え太る御しがたい死の概念と戦う。闇の思い、永遠の眠り、極北の概念と激しく戦う。そして相手は決してその名を明かさないのである。
 そいつは自身が闇であり、顔さえ判別できない。それは存在自体が謎に満ち、未知の知識を持っているように見えるが、それを告げようとはしない。だから彼は組み掴んだ手を離さないのだ。彼はそれをしっかり掴んだままずるずると引きずり、現実の地上を歩いて行く。彼は彼の思考の全力を尽くして奴と戦う。奴と彼は分かちがたい関係を持ち続ける親しい友人のように見えるのかもしれない。
 
 私は見覚えのある場所に来ていた。この広い公園を私は一周してしまったようだ。視界が拡がり、小高い丘となった芝生の上を通ると、樹木の鬱蒼とした波の向こうに、灰色にくすんだ高層ビル群が見えるのだった。

 土の道に私の影が黒々と落ちていた。" 影は黒ではない "といったのは印象派の画家だったか。しかしそれはどう見ても「黒」であった。この地表に漆黒の夢のように黒い影を造り出す、他ならぬ私の影だった。
 私は歩き続けながら陽光に輝いた昼の宝樹、夕陽の金色に満たされた夕の宝樹の、音を立てるかと思うほどの煌びやかさを思い出していた。しかし私は未だ「朝の宝樹」を見てはいない。

 ― 今度は違う道を通ってみよう。
 そうつぶやくと私はまた歩き出した。
 
 
 
 
posted by JP.フィールド at 01:18| ウィーン | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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